万研列伝 2006

(※フィクションとしてお読み下さい\(^O^)/)


 『気付き』は人生の中で最も重要な衝動の1つである。
 かのメジャーになった千年に渡って同じ人生の結末が繰り返されるPCゲームの中でも、これは説かれている。

 筆者はマンボウの研究をするために、水産系の大学に入ったことを思い出した。
 2006年3月。
 早速、配属された研究室の先生に卒業研究でマンボウの研究をしたいことを相談する。
 しかし、先生の返答は即答で現実的だった。

「どうやってやるの?」

 言われて、余計な熱が冷めた。

 わからない。 

 ただ何となくマンボウに関する研究がしたいだけだった。
 具体的にマンボウの何を研究したいのか?
 筆者自身でそれもよくわかっていなかった。

 マンボウ研究を始めるにあたって大きな壁が2つあった。
・現研究室は淡水系魚類の研究がメインであり、先生もマンボウは詳しくない。
・大学は山の上にあり、海から遠い。

 しかし、ここまで来てマンボウ研究をすることなく、人生を終えてもいいものか?
 究極的にそこまで考えた。
 そして、考えに考えた結果、過去にマンボウを研究した人がいないかをネットで検索してみることにした。
 すると、ちょうどその時始めていた、後にメジャーとなる某国内SNSで、意外にもあっさりマンボウ研究者を発見したのである。

 幸運なことに、書き込みは最近まで続いていた。
 早速、これからマンボウ研究したい旨を書いて、マンボウコミュニティの投稿者にメッセージを送信した。
 この時発送したメッセージが、偶然にしては必然としか思いようのない数奇な繋がりの始まりだったことは言うまでもない。
 相談を持ちかけた相手は間違いなく正解だった。

 卒業研究のテーマを決定しなければならない日が迫っている中、ドキドキしながら返信を待った。
 返信がなかったらどうしようとヤキモキする中、マンボウ研究者からの返信が返ってきた。
 マンボウ研究への繋がりができた瞬間であった。

 メッセージは歓迎されていた。
 しかし、返信を返してくれたマンボウ研究者は既に研究を終え、社会人になっていた。
 研究は終わっていてもなんとかマンボウ研究について手ほどきしてほしい。
 そう無茶なお願いをすると、彼の研究には後継者がいることが明らかになった。

 ファーストコンタクトを取った初代研究者は男。巨大なマンボウを研究しているので、男であるのはなんとなく理解できる。
 しかし、初代から紹介された二代目の後継者は女だった。
 さすがにこれには驚いた。

「マンボウ研究の詳しいことは二代目に聞いてみたらいいよ」
 そう紹介されて、二代目のマンボウ研究とコンタクトを取ることになった。
 相談の結果、卒業研究でマンボウ研究を行うことは難しいが、大学院に進学してから研究することは可能という結論に達した。
 大学院に行くことなど微塵も考えていなかったのだが、就職活動も全く行っていなかったこともあり、やりたかったマンボウ研究ができるのならと考え、二代目の在籍する大学院への進学の考えを固めた。


 4月。卒業研究の始まり。
 結局、卒業研究は身近にいる淡水魚の魚類相調査を行うことにした。
 しかし、大学院に進学して役に立つ技術も習得しようと思い、DNA解析も行うことにした。
 何故なら、初代、二代目が進めている研究は、『DNA解析によるマンボウ属魚類の分類学的再検討』だったからだ。

 気合を入れて卒業研究を始めるも、わからないことだらけだった。
 そんな中、6月末には大学院の推薦入試が行われる。
 必死になって自分のやりたいマンボウ研究を考えた。


 5月。推薦入試の参考になるようにと、二代目に誘われて、研究室訪問をすることになった。
 お金が無いので、電車の鈍行で5時間以上かけて二代目の所属する研究室へ向かった。
 そして、この時、初めて二代目と対面した。  ネットで既に顔は知っていたが、実際に会って、ビックリするほどロリ系であることにさらに衝撃を受けた。
 しかし、外見は関係なく、類稀なる優秀なマンボウ研究者であることが話しているうちによく理解できた。

 滞在中、二代目が大きな卵巣を解剖するというので、現場に立ち会わせてもらった。
 それは衝撃的な大きさで、なんと言っていいのか、表現のしようがなかった。
 研究の相談を重ね、可能な研究を把握し、推薦入試に臨んだ。

   推薦入試は面接のみ。
 面接は苦手だったので、試験後は合格していることをただただひたすら毎日毎日祈り続けた。
 これで落ちたらニート確実であったため、気が気じゃないほど毎日毎日合格を願った。
 これまでの人生でこれほど祈りを捧げたことはない。

 そんな祈りが無事通じてか、暑い中、一人、淡水魚を虫取り網で採集している最中に二代目からのメールが来た。
 メールにはおめでとうと祝福する文字と、受験番号の画像が添付されていた。
 筆者はガッツポーズしてその場で飛び上がった。
 晴れて二代目の在籍する大学院への進学が決定したのだ。


 6月。  大学院の合格が発表される少し前、二代目から一緒にマンボウのイベントに来ないかとの誘いがあった。
 話を聞くと、初代も参加するらしい。
 マンボウ研究者三代が一度に集まる貴重なイベントだ!!
 筆者は二つ返事でイベントに参加することにした。
   まずは鳥取。そこで、初代と二代目がマンボウのシンポジウムを行うことになっていた。
 筆者は胸をときめかせながら、初代と、有名なフグ目の分類の権威の話を聞いた。
 しかし、二代目の講演の途中でタイムリミットが来て、途中退場した。
 筆者はメインイベントである大分に行かなければならなかったのだ。

 メインイベント会場は、マンボウを冬季から春季にかけて100mプールで飼育することで有名な施設だった。
 実はこの施設、進路を悩んでいた3月に、筆者が訪れ、監視員の目を盗んでこっそりマンボウの鰭を生れてはじめて触った場所だった。
 またここは、初代が最初にマンボウ研究を始めた、マンボウ研究始まりの場所でもあった。
 初めて会った初代は、がっちり系のもちもちした肌が印象的だった。
 それは過去、現在、未来のマンボウ研究者が揃った瞬間だった。
 イベントはプールにいるマンボウをシーツにくるんで、地元の小学生と一緒に海に放流するだけ。
 しかし、その前に、二代目が簡単な調査を行った。
 筆者にとって、それは初めて体験する調査風景だった。
 このイベントは最初にして印象が強い。
 マンボウを運んでいる筆者の写真がローカル紙に載ったことも拍車をかけて。


 イベントは続く。
 二代目から数週間にわたる本格的なサンプリングに誘われた。
 これは願ってもいないチャンス。
 一体どうやってマンボウを研究しているのか、現場を直接見ることができる!
 マンボウのことを知りたい筆者としては、是非とも同行したい……

 そして、7月。
 卒業研究もバイトも放棄して、マンボウサンプリングに同行することにした。



――岩手編(2006年7月18日〜8月4日)――

  「私は先にセンターに行っているから後からおいで〜」
 と二代目に言われ、夜行バスと電車に揺られ、ネットカフェで数夜過ごしてやって来たのは、人生初となる岩手県。
 一人旅は何度かしたことがあったものの、近畿地方からはるばる東北圏に足を運んだのは初めてだった。
 駅を降りての第一印象は田舎だった。しかし、ただの田舎ではないことが後に明らかになる。
 初めてのマンボウサンプリング。どんなことをするのか、期待半分、不安半分。

 二代目に教えてもらった研究所に到着。
 通称『センター』と呼ばれるこの研究所は東大の施設。
 まさか天下の東大と関わりを持つことになろうとは、ドキがムネムネして緊張した。

 センターで二代目と合流して、マンボウサンプリングの説明を受ける。
 マンボウサンプリングの流れはこうだった。

 漁師が海でマンボウを漁獲する→ 二代目にマンボウが獲れたと漁師から電話が入る→ センター職員にトラックを出してもらって漁港へ向かう→ 漁師が漁港に帰ってくるタイミングで鉢合わせてマンボウをトラックに載せてもらう→ センターに戻って研究開始

 なかなかハードそうだ。
 漁は朝と昼に行われる。一日のうち、チャンスは二回。
 特に、朝早いのがネックになりそう。6時には起きて漁師から電話が来るのを待っていなければならないという。
 寝過ごしてしまったらマンボウがもらえない。漁港に着くのが遅れると漁師から怒られる。
 漁師からしてみれば、船のスペースを取るマンボウを丸ごと漁港に持って帰ってくることにメリットはなく、帰船時間にこちらの到着が遅れると水揚げも遅れて、魚介類の鮮度も落ちるのでよろしくない。
 マンボウを漁港のそこらへんに放置しておくのも衛生上よろしくないとのことで(デカいので保冷ができない)、船はこちらが到着するまで待っていなければならない。

 重要なのは『タイミング』だ。
 二代目は何度かポカしてしまい、マンボウがもらえなかったり、怒られたのだという。
「私が寝ていたら起こしに来てね」
 お互いに6時に起きる約束をした。

 センター内を案内してもらい、受け入れ教官、職員、滞在している研究者を紹介してもらった。
 宿泊所は研究所の向かいにある。徒歩で1分ほど。かなり近い。印象としては四角い建物だった。

 そして、およそ3週間におよぶ怒涛のファーストサンプリングが幕を上げたのである。


 ヒトは日々、人間社会の中で生きている。
 よく人間VS自然という構図の映画を見ることがあるが、人間社会を包括しているのは自然界であることを忘れてはならない。
 すなわち、ヒトもまた自然下で生きているのだ。
 自然は常に動いている。環境は変動する。自然下で暮らす生き物たちは環境の変動に合わせて生き延びるために時々刻々と動いている。
 そう、生き物は動いているのだ。

 センターに到着して3日間。マンボウは全く獲れなかった。
 そして4日目にしてようやくマンボウが漁獲されたと漁師から連絡が入る。
 さすがに3日間連続して何も連絡が無いと、今日も獲れないものと諦めモードになってしまう自分がいた。
 そんな矢先、静寂は破られた。筆者が人生で初めて目にするマンボウ初漁獲の瞬間・2006年7月22日のことだった。

「行くぞ、おめぇら!」
 二代目が漁師から受けた電話を聞き、職員Mが威勢よく声を発した。
 ここからは速さが命。漁師が漁港に帰ってくる前に漁港に着かなければならない。
 バタバタと急いで三階から降り、トラックに乗って漁港に向かう。
 センターから漁港までは30分程度かかる。連絡を受けてからは急がなければならない。

 職員Mの運転捌きは見事なものだった。早い。そして、正確。
 センターのトラックは霧雨が降る中を暴走列車よろしくと走る。
 トラックの中ではマンボウが漁獲されて、喜びの声が溢れていた。
 マンボウが獲れなければ研究が進まない。研究が進まないということは二代目の修士論文に大きく響く。
 もしかしたら、内定出たのに卒業ができないという事態が起こり得るかもしれない。
 それは最悪のシナリオだ。

 しかし、今日、マンボウは獲れた。停滞していた研究は再び進み始めるのだ。
 筆者は二代目の研究のサポート役兼研修として、今回のサンプリングに同伴している。
 マンボウ研究者の第一歩として、現場を頭に叩き込んでおきたかった。

 漁港に着くと、すでに船は帰ってきた。
 しかし、ジャストタイミングだったようだ。すぐにトラックの後部を船に近寄らせ、吊り下げられたマンボウをもらう。
 一言で言って、デカかった。一般的なの魚のサイズの基準を超えている。
 それもそのはず、二代目が連絡を受けた時には2m50pと漁師から聞いていたのだ。

 水族館では決して見ることのできない巨大なマンボウ。
 これが自然下で生きるマンボウの真の姿だった。
 クレーンに吊り下げられたマンボウがもし、落ちてきたら、その下にいる人は確実に助からないだろう。
 巨大なマンボウを漁師からもらい、二代目が漁師に感謝とお願いをして、すぐに漁港を去る。
 さぁ、研究の始まりだ。

 喜びの声が溢れる帰路。
 センターに着いた時には、センター前にある広場に巨大なブルーシートが広げられていた。
 二代目のサンプリングに協力してくれているセンター在住の院生Kがすぐに調査できるように準備してくれていたのだ。
 早速、トラックのクレーンで荷台に乗っている巨大マンボウをブルーシートの上に降ろす。
 改めて見てもやはりデカい。後にこのマンボウは筆者が見た中で最初で最大のマンボウとなる。

 二代目が調査の準備をする。二代目の後にちょこちょこ付いて行き、ノウハウを教えてもらう。
 これまでに一体どれほどの自然科学者がこの魚に惹かれ、調査したのかは知らない。
 しかし、誰もたくさんの標本を計測しようとは思わなかった……いや、実質できなかったのかもしれない。

 まず、最も重要なDNAサンプルの確保。マンボウの肉を切り取り、100%アルコールの入ったサンプル管に入れる。
 これは筆者も知っていた。既に卒業研究のサンプリングで、採取したサンプルはすべて70%以上のエタノールで固定していた。
 DNA解析に必要な組織はほんの少しでいい。指の爪の大きさの肉だけでも、数百回分は解析できるとの話だ。
 そして、アルコールに入れたサンプル管は冷凍庫に入れる。常温放置でも大丈夫なのだが、アルコール+冷凍がベストなのだという。

 次は写真。より良いデータを残すためには、マンボウを真上から撮影する必要がある。
 しかし、これがなかなか難しい。2m超えのマンボウは畳3枚くらいある。
 このせいか、漁師はマンボウは1尾2尾ではなく、1枚2枚とマンボウを数える。
 どんなに背が高い人ががんばって手を上に伸ばしても、真上から全形を写すことはできない。
 二代目は自分の二倍近くある梯子を持ってきてよじ登り、その上から写真を撮っていた。
 写真一枚撮るだけでもものすごい労力を強いられることを実感する。
 巨大なマンボウは標本を保存することが難しい。だから、形態を知るには、写真が最も重要なツールとなるのだ。
 そして、いよいよ計測。
 センターの職員に作ってもらったという巨大マンボウ専用の計測器で、マンボウを計測していく。
 二代目が作った計測表でどのポイントを測るのか一つ一つ教えてもらいながら、より正確なデータを取っていく。
 計測すると、この巨大マンボウは全長219pだった。漁師の言い分はややオーバーだったが、大型個体に違いはない。
 早朝から朝になると、センターを利用している研究者や職員が続々とやって来る。
 センターの人達は「今日のは大きいね〜」と言いながらも慣れた様子だった。

 計測が終わると、調査終了。
 ここで問題となるのが、後片付け。
 この巨大なマンボウを一体どうすればいいのか?
 通常の魚なら、袋に入れた生ごみとしてポイすれば問題ない。
 しかし、目の前にあるのは推定体重1t近くある代物だ。

 ここで院生Kはどこからともなく巨大な鉈を持ってきた。そして、マンボウの上に乗り、慣れた手つきで切っていく。
 それは魚を捌くというよりも、解体しているという方が表現としては適しているように思えた。
 マンボウ解体時は人手がいる。
 二代目はセンターの研究者に協力を呼びかけ、男たちの手で分割したマンボウの体を袋の中に詰めていく。
 袋詰めにしたマンボウは冷凍庫に運び、週に一回ある燃えるゴミの日に出すのだという。
 マンボウが巨大になればなるほど、この作業はキツくなる。
 30分ほどかかって、巨大なマンボウはようやく広場から姿を消した。
 筆者ももちろん、後片付けを手伝ったが、持ったマンボウは欠片でも非常に重かった。
 冷凍庫はすぐにパンパンになる。他の研究者も利用している手前、申し訳ない気分でいっぱいになると二代目は言った。

 マンボウがいなくなった後は、調査に使った道具をきれいに洗わなければならない。
 まずは、トラックの荷台、ブルーシート、鉈、包丁、計測器、メジャー、定規、コンパス……などなど。
 片付けながら、二代目は初めてのサンプリングの感想を聞いてきた。
「私も他の研究に変えようかと思ったことがあったもん」
 筆者的には刺激のある時間だったが、マンボウ研究の大変さが伝わってきた。
 今はまだ二代目のヘルパーとして手伝っているだけだ。
 しかし、来年からはこれを自分でやらなければならない。
 少し、ほんの少しだけ心臓が痛くなる思いがした。

 マンボウの皮膚は意外とギザギザしていた。
 今回触ったものはこれまで触ったマンボウの中で最もギザギザしているように感じた。
 研究は実際にモノに触れるのも大切なことである。
 後に、この感覚が興味深い発見をもたらすことになるとはこの時はまだ知る由もなかった。

 初めてのサンプリングは終わった。
 半ば呆然としながらも、サンプリングのおおよその流れは把握した。
 この研究は一人では決してできない。
 多くの人の協力が必要である。そう強く感じた。
 これは筆者の単独でサンプルを集めることができる卒業研究とは正反対の研究だ。

 二代目からノウハウを確実に受け継ぐためにはもっと経験がいる。
 明日はマンボウが獲れるだろうか……?
 すべての作業が終了したのは午前九時。しかし、もう一日過ぎたような気がするほど濃厚な時間と疲労だった。



「う〜ん、サンプリング日程延ばすかも……どうする?」
 二代目がそんな話を持ち出した。
 初漁獲から数日後、数回マンボウコールがあったものの、不発があったり、こちらの要望がうまく伝達されておらずマンボウが切り刻まれ、データの取れない状態で呼び出されたり……サンプリングは大幅に目標数を下回っていた。
 マンボウサンプリングの困難性は『マンボウを獲ること』自体にあることがだんだん実感してきた頃だった。

 サンプルさえ獲ることができれば、あとはいくらでもデータを取ることができる。
 サンプルさえ獲ることができれば……
「延期します!」
 ここまで来て途中で抜けることはできない。
 このサンプリングは二代目に最後まで付いて行き、手伝いながらノウハウを自分に叩き込もうと決めた。
 バイトや研究室の友人、家族などに帰りの日程が延期する旨を連絡し、延期期間に突入した。
 季節は8月。岩手の短い真夏が訪れようとしていた。


「えぇっ! 本当ですか?」
 二代目がコールのかかったケータイに出て、そんな大きなリアクションをした。
 どんなマンボウが来たのかと身構えると、漁師からのコールではないようだった。
 電話を終えた二代目は、少し泣いていた。それは嬉し泣きだった。
 話を聞くと、知り合いの水族館スタッフが沖合の海域で獲れた小型マンボウの群れをこちらに送ってくれるという話だった。
 それも20個体くらい。
 今までのターゲットは大型個体だった。
 しかし、なかなか漁獲が困難な沖合の海域であれば、小型、大型関係なく、サンプルはありがたい。
 二日後にそれは届く話になった。

 そして二日後、漁師からのマンボウコールは依然なく、本当に獲れていないのか不信が募りつつあった。
 実際、電話を待たずにこちらから電話をしてみると、実は獲れていたというケースが何回かあった。
 漁師も忙しいのだ。しかし、こちらもサンプルがもらえないと仕事が進まない。
 大学における研究は遊びでは無い、例え直接的に人の役に立たなくとも、これはこれで立派な仕事なのだ。
 こちらの仕事がうまく進むようになるには、漁師と仲良くなることのほかにはない。
 研究で最も重要なことは金でも時間でもなく、やはり『人間関係』であるのだ。

   二日後、少し大きめの段ボールが届いた。
 本当にこの大きさの段ボールの中にマンボウが二十枚も入っているのかと疑って中身を出すと……マンボウ玉が出てきた。
 たくさんの小さなマンボウが段ボール型に氷漬けになっていた。
「これは無理やり剥がせないね」
 少し日に当てて氷を溶かすことになった。

 数時間後、氷が溶けて出てきた小さなマンボウを並べ、早速計測を行う。
 二十個体もいるから大変だ。
「うーん、小さいのばかり集めても仕方ないし、半分くらいでいいかな。数個体は博物館に送ろう」
 二代目の判断により、肉片は全個体採取したものの、計測は半分になった。
「計測終わった個体はいらないけど……いる?」
「え、いいんですか! いります! 大学に送ります! 脊椎骨は年齢査定に使えそうですし」
 小さな個体は大型個体のように肉を切り分ける必要がない。大学に戻ってじっくりマンボウを丸ごと調べることができる願ってもいないチャンス。
 来年から始める研究のためにも、もらえる分だけもらっておいた。


 田舎町には自営業のようなメジャーじゃないローカルなスーパーマーケットがある。
 そして、そういったローカルな店には、地元ならではの食品やアイテムが並べられている。
「マンボウ……売ってるし」
 都会の人には馴染みがないだろう。筆者も初めて見た。
 鮮魚コーナーにマンボウの肉が売っていた。
 売っていたのは白身の筋肉と赤身の筋肉。赤身の方が少し値段が高い。
「値段無し?」
 黄色い物体……肝臓もパックに入っているのだが、どれも値札が付いていない。
 気になって店の人に聞いてみると、肝臓はタダだという。
 肝臓は油の代わりに使えるとのこと。
 そういえば、二代目がそんなことを言っていたのを思い出した。
 マンボウのパーツの中で一番高いと聞いた消化管(ここではコワタという)の部分はスーパーでは見当たらなかった。

 マンボウは店で購入しなかったが、サンプリングで獲れたものを食べた。
 マンボウ肉は刺身で食べるとイカ刺しの味が薄い感じ。水っぽい。
 茹でたり炒めたり、火を通すとマンボウの肉は鳥のササミのような感触になった。
 好きな人は病み付きになって食べる味らしいが、美味しいかと言われるとそれほどでもないというのが率直な感想だった。
 しかし、一部の都市では珍味として高額で売り出されるのだ

 マンボウサンプリングの大部分は『定置網漁』によってもたらされるものである。
 しかし、この地域にはもう一つマンボウを得る手段がある。
 それは『突きん棒漁』だ。呼んで字の如く、マンボウを突いて捕獲するのである。
 某番組の無人島生活で水中に入って銛で魚を突くのとは少し異なるが、船上から海面にいる魚を目掛けて銛を投げる漁である。
 通常はカジキ、マグロなど高価で売れる大型生物を狙っているのだが、時々、海面にマンボウがいると狙って突くのだという。
 実は、二代目は近場にある突きん棒漁師にもマンボウを突いて持ち帰ったらサンプルがほしいと頼んでいたのだが、こちらは漁が不定期なので連絡は全く来なかった。

 しかし、さすがは東大の実験所。ここで使う船には突きん棒も完備されていた。
 他の研究者が船を使用しない天候の良い時に、何度かセンターの船に乗る機会があった。
 船に乗るのはワクワク心が躍る。
 自然下に生きる野生のマンボウをこの目で見るチャンスができた。
 陸地が見えなくなるほど遠くに出ると、みんなでマンボウが海面にいないか懸命に探す。

 職員Kの言うところによると、マンボウは『潮目』に出現することが多いのだという。
 海には異なる海流がぶつかるところがある。その境界が潮目だ。
 マンボウは海面で体を横たえてプカプカ浮いていることがある。俗に言う『マンボウの昼寝』という行動だ。
 昼寝中のマンボウは見付けやすく突きやすい。しかし、それ以外のマンボウは海と同化して見付けにくい。
 マンボウを海面で見つけるには海面から突き出ている背鰭に注目すること。
 三角の背鰭がまっすぐ直進すればサメやカジキ類。一方、マンボウは左右に鰭が揺れる。
 マンボウがサメと勘違いされるケースもあるらしいが、鰭の動きで容易に判別することができる。

 教わったことを頭に入れて、海上を注視する。
 しかし、この大海原の中からどれほどの数がいるのかわからないマンボウを探そうというのも結構無謀な話。
 相手は生き物だ。常に動いている。そう簡単には見つからない。
 午前中は元漁師の職員達のタカの目を持ってしても見付けられなかった。
 マンボウ探しは一旦中止して、昼ごはんにしようという流れになった最中、筆者はそれらしいのを見付けた。
 見間違いじゃないかと思ったが、鰭が左右に動いている。
「あれ! マンボウじゃないですか?」
「マンボウだー!! これだから海は油断できねぇんだ! よく見付けたな!」
 突如スイッチが入ったように雰囲気が戦闘モードに変わる。

「旋回! おめえらはマンボウをよーく見てろ! 見逃すな!」
 職員達が突きん棒をセットし、船の先端に装着したきん棒台に立つ。
 二代目と筆者は絶対にマンボウを見逃すまいと、時々デジカメで写真を撮りながら目視する。
「このマンボウはいるか?」
「いります! 獲って下さい!」
 職員の問いかけに二代目が大声で答える。船の上から見るだけでは正確なサイズはわからないが、それなりにはデカい。
「行くぞぉ!!」
 マンボウは体を傾けて昼寝状態になりかけていた。
 船が近付いてもマンボウは全く気に留めていないかのようにゆらゆら波間に揺られている。
 しかし、筆者らには緊張が走る。この航海の目的はマンボウをゲットすること。
 一日中探しても発見できない時もあるという。このチャンスを逃すわけにはいかない。
 マンボウの背鰭と職員の持つ突きん棒が対決する。
 この光景を見て、心がざわめいた。忘れていた生物本来の狩猟本能が刺激されたような感覚に陥った。
 そう、狩りだ。相手がカジキやマグロじゃないにしろ、これは立派なハンティングなのだ。
 職員が突きん棒を投げる。いや、投げるというよりも真下に落とすという表現の方が合っているのかもしれない。
「くそぉっ、逃した! マンボウは?」
 船の動くタイミングと突きん棒の投げるタイミングが合わなかった。失敗だ。
「あぁー、潜っちゃいました……」
 さすがにマンボウも身の危険を感じたのか、斜めに体を傾けた状態からまっすぐになり、そのまま海の闇の中へと消えて行ってしまった。
「すまねぇ。俺らもこのメンバーでは経験が浅い。次だ。またマンボウは出てくる」
 職員の言葉を聞き、少し落ち込んでいた二代目は笑顔を見せた。

 実際の突きん棒漁の光景を見て、感じたことがいくつかあった。
 マンボウは高速で潜る。水族館でのんびりだるそうに泳いでいるのはまやかしだった。自然界に生きるマンボウはやる気になると速い。
 しかし、一方で、船がギリギリまで近付いていても体を横たえて逃げなかった。小さな個体だと泳いで捕まえることができたのかもしれない。
 矛盾する行動。
 しかし、人間ものんびりしている時もあればキビキビ動いている時もある。マンボウだって同じだ。
 マンボウはマグロと違ってゆったり動きを止めることを許された生物なのだろう。

 その後、この日は幸運にも計五回、海上のマンボウに遭遇する機会があった。かなりラッキーなのだという。
 しかし、マンボウゲットには至らなかった。二代目のターゲットは大物。
 他に遭遇した個体は小さかったり、すぐに潜ってしまったりという結果になった。

「大きなマンボウはたまに二匹一緒に泳いでいることがある。あれはきっとつがいだろうと俺は思っている」
 職員が興味深い話をしてくれた。
 この話はネット調べで見たことがあったが、現場の人の話を聞くと信憑性が上がった。
 マンボウの回遊には3つの説がある。単独、つがい、群れる。
 きっとどれもが正解なのだと思う。今回の船上観察で単独と群れを見る機会があった。
 一瞬の出来事だったが、小さなマンボウが5匹くらいの群れをつくって泳いでいる場面に出くわした。
 あまりにも一瞬のことで写真は撮れなかったが、小さなマンボウは群れるという事実をこの目で確認できた。

 この航海でおそらく、かなり貴重な光景を目の当たりにした。
 船上調査の最後の方に遭遇したマンボウ。マンボウは波間に揺られて昼寝していた。
 二代目が小さいからいらないと言うので目視観察することになった。
 見ていると、視界の横からカマイルカの群れがやってきた。イルカはドンドン、マンボウのいる方に直進する。
 そして、あろうことか、イルカはマンボウに体当たりして泳ぎ去って行った。
 しかし、マンボウがイルカに体当たりされてもゆらゆら昼寝し続けていた。少し弱っているようにも見えた。
 事故ではなく故意的にイルカがマンボウに体当たりをしたように見えた。
 その後、調べてみると、イルカがマンボウに体当たりしたり、マンボウで遊ぶ事例が他にもあることを知った。
 海の生物の奥深さをこの目に焼き付けた瞬間だった。


「来年、また来ます!!」
 調査最終日、ファーストサンプリングに様々な思い出と経験を噛み締め、帰路に向かった。
 二代目は途中で実家に帰ると言うので、帰路は別々になった。ちょうど盛大な東北の夏祭りが開催されている時期だったので、少し寄り道して帰ることにした。


 初めて訪れた東北の港町。しかし、五年後にこの町が東日本大震災で壊滅することになろうとは、この時は誰一人想像もしなかっただろう。


 初めてのマンボウサンプリング。今までの人生の中で一番壮絶な体験だったかもしれない。
 ノウハウは二代目から学んでいた気になっていた。
 しかし、筆者はマンボウサンプリングの困難性を何一つわかっていなかった。
 このことに気付かされるのは大学院生になって研究を始める一年後のことであった……

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 2012年1月19日作成 2012年7月25日更新


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