万研列伝 2010
(※フィクションとしてお読み下さい\(^O^)/)
冬季から春にかけては忙しかった。
博士課程進学の準備、学会発表の準備、助成金や学振の申請手続き……
博士課程の試験に合格できなかったらニート決定だなと考えていたら、なんとか問題なく合格することができた。
現状維持続行である。
そして、学会発表を終え、実家に帰ったところで、思わぬ病気を患っていたことが判明する。
尿路結石。
新学期早々、緊急入院することになった。
横っ腹が痛いと思っていたら、結石が詰まっていて腎臓に水が溜まって膨れ上がっているという危ないところだった。
しかし、手術自体はすぐに終わり、中旬には無事、大学に帰還。
そして、博士課程の研究が始まった。
――台湾編(2010年5月22日〜2010年5月30日)――
話は尿路結石で入院する前に遡る。
このサンプリングはXとのメールのやり取りの中から企画された。
Xが台湾の研究者にサンプリングに呼ばれているという話を聞き、論文で台湾はヤリマンボウが多く漁獲されることを思い出した。
行くとすれば一週間から十日くらいという話だったので、付いて行きたいと申し出る。
台湾の研究者にいろいろ情報を聞いてもらい、五月に行ってもマンボウ類は獲れるだろうという話で、台湾に行くことになった。
人生初の海外サンプリングだ。台湾にも初めて行く。
何が出るのかわからない。ちゃんとサンプルを得ることができるだろうか?
期待と不安が半分半分だった。
話を進め、Xは先にサンプリングに行き、現地で合流することになった。
いきなりハードルが高い。
しかし、漢字が通じるなら、事前に調べてメモ帳に書いて見せるだけで何とかなるだろう。
そんな感じでやや緊張しつつ、台湾へ。
何気に丸一日かかって、現地で合流できた。
Xと台湾の研究者Hから今後の予定を聞かされる。
初めて来た土地で何がどこにあるのかさっぱりわからなかったのだが、どうやら車で台湾を西周りに一周するらしい。
そして、様々な漁港で珍しい魚がいないかチェックするのだという(筆者の場合はマンボウ類)。
基本的に車に乗っているだけでいいのだが、雨、曇りが多かった。
テレビを見ると最強梅雨とか書かれていて、とにかく、天候には恵まれなかった。
しかし、台湾は安い。すべてのものが日本の半額くらいの物価と考えていいだろう。
で、料理は量が多い。日本とはまた違う味付けで美味しいと言えば美味しいし、そうでないと言われればそうでないものもあった。
食べ過ぎによるものか、腹を下すことが多かった。
この謎は一年後に解けることになる。
一日毎に台湾を移動し、魚市場に足を運ぶ。
驚いたのは雑魚が獲れても日本の定置網のように海上投棄はせず、ミンチにして団子として利用するとのことだった。
で、底引き網も盛んなようで、深海魚を結構普通に目にすることができる。
図鑑で見たことがあるような深海魚は、大きいものかと思えば、実際は手のひらサイズしかないことを初めて知った。
長もののレプトケファルスを生で見たのもこの時が初めてだった。
台湾の魚市場に売られている魚はパックに詰められているのではなく、魚まるごと売っていることが多かった。
XとHはそれらを丹念に観察して、珍しい魚が揚がっていないか探していた。
魚市場でマンボウと思しき肉が売られていることはあった。
しかし、肉はいつどこでどんな大きさのが獲れたのかもわからない状態だったので諦めた。
できれば形態も調べたい。全身の写真を撮りたかった。
いろんな漁港を回り、旅も後半に近付く。
しかし、マンボウ類は全く獲れていなかった。
このまま手ぶらで帰るのか? 焦りが出てきたところで、台湾東岸に辿り着いた。
話によると、ここがマンボウ類が一番獲れるところで、昨年ヤリマンボウの論文を出した先生も近くの大学にいるのだという。
そして、本格的なサンプリングが幕を開けた。
ホテルに着いて翌朝、日が昇ってから漁港に行く。この地方には定置網がある。
すると、早速発見した!!
ヤリマンボウだった。数匹いるのは全部ヤリマンボウ!
日本ではこんなことはめったに起こらない。まさに奇跡。
それで、Xを介してHや漁師にどこまで調査していいのかを聞いてもらう。
すると、写真撮影とDNA採取は問題ない。しかし、計測は高速で行わなければならないという。
何故なら、この地域においてマンボウ類は高級魚であり、丸ごとレストランに持って行かれるのだという。
日本でも消化管、肝臓、筋肉、時折、皮下のゼラチン層や卵巣、精巣や心臓は食べられる。
しかし、話を聞くに、ここでは鰭を干物にしてまで食べるのだという。
どんなにがんばっても形態計測を十分に行うことはできなかった。
数ヵ所測るだけで時間切れ。
これでは内部形態は全く調べることができない……
調査したい項目がすべてできないなら、できる限り有効なデータを取るために重要なポイントに絞る必要がある。
修士論文の結果を参考にして、比較する際に面白い計測部位を検討する。
ここでの研究は速さが命だった。
翌日、ヤリマンボウの研究の論文に出した先生が丸ごと計測できるようヤリマンボウを準備してくれているというので、そちらにお邪魔することになった。
論文著者との初めての会合。
そして、満足いくまで、徹底的に1匹を計測しまくる。
XやHにも手伝ってもらい、マンボウ類の研究の難しさをわかってもらう。
今までこの巨大な魚相手に地道にデータを積み重ねてきた。おそらくこれからもそうなるだろうが、理解者は多いほどありがたい。
その後、このヤリマンボウを使って、マンボウ専門店に向かった。
その店は101種類のマンボウ料理があるのだという。
先生は店長と知り合いとのことで、スペシャルコースを頼んでもらった。
出てくると、これまで食べてきたマンボウが高級に見えるほど立派な料理になっていた。
中でも、マンボウの肝臓は濃厚で甘辛く、一番の美味しさだった。
皮下のゼラチンを固めたゼリーはかなり歯ごたえがあった。
マンボウジュースはシトラス系のジュースにゼラチン層が入っているものだった。
しかし、腹がいっぱい過ぎて、一番食べたかったマンボウアイスは食べることができなかった。
その後、先生の大学に行き、情報交換。
先生が調べているデータは膨大だった。
しかし、これらはまだ論文として世に出ていない……
こちらは分類もメインとしている。様々な形態のマンボウ類の画像を見せると、先生は驚いている様子だった。
それで、台湾のマンボウ類の画像を見せてもらう。
そして、先生が言った。
「台湾はゴールデンマンボウと呼ばれる種類がいる」
曰く、台湾にも様々な形態のマンボウ類がいるとの話だった。
これは面白い。台湾ならまだ日本にも近いし、今後調査を続けていくのも良さそうだと直感的に感じた。
漁は一日二回。朝と夕方。毎回タクシーで漁港に行き、マンボウ類がいれば簡易計測とDNA採取をやらせてもらった。
三日間くらい滞在して10個体以上のDNAを採取できた。まずまずの結果だ。
そして、サンプリングを終えてXとともに帰国する。
直接現地に足を運ばなければわからないことは、世界共通だ。『攻め型』サンプリングは重要。
論文化されていない面白い情報を持つ人たちはこの世界にまだまだいる。
お金の許す限り、体が動く若いうちに世界中のマンボウを見て回りたい……
この経験が苦手だった英語を克服する一つのきっかけになった。
――パラオ編(2010年7月30日〜2010年8月2日)――
とある機会に恵まれ、やってきたのはパラオ、マラカル島。
前回の台湾に続き、年内に二階も海外に行くことになろうとは、博士課程に進んで一気に研究はグローバル化してきた!
しかし、滞在できる期間は三日しかない。
この限られた期間内にこの国でマンボウ情報を集めなければならない!
しかし、筆者は既にご存じのように英語ができない。
日本語が通じる相手を探す必要性がある。
パラオは戦時中、日本の植民地だったこともあり、また最近はリゾート地として観光客が多いため、店を虱潰しに聞きまくれば、日本人もしくは日本語が話せる人にヒットするはずである……
と言うことで、観光がてらパラオのメイン島のお店を見て回っていると、以外にもあっさり日本人は見つかった。
どうもダイビングショップは日本人が在籍しているショップが多いらしい。
早速この辺でマンボウは見たことがないか取材してみると……
「見たことないねー」
「ダイビング中でも?」
「うーん、無いねー」
マンボウの研究をしている旨を伝えると、店員は漁師に電話をしてくれた。
「漁師さんに聞いてみると、20年前くらいに一度、ジャーマンチャネルで見たらしいよ」
「20年前ですか……」
マンボウは南方からやって来るものと考えていた筆者はパラオ周辺にもマンボウは出現するはずだと考えていたのだが、どうもショップへの聞き取り調査では、激レアにランク付けされている魚のようだった。
マンボウはダイバーからも人気があるので、出現する情報があれば、ダイビングショップは知っているはずである。
しかし、どこもそれ以上の情報を持っていなかった。
調査の方向性を変えて、ダイビングショップにある魚図鑑を片っ端から見ていくことにする。
しかし、載っていない。
パラオ近海の魚図鑑にはどこにもマンボウは載っていなかった。
やはりこの辺では珍しい魚のようだった。
かくなる上は、漁師に直接訪ねるしかない!
ということで、一緒に来ていた英語ができるM氏とタクシーで一緒に漁港に行き、マンボウを見たことないか聞き取り調査をしてみる。
「ちょっと待って」という日本語は日本人がついつい口にしてしまう言葉のようで、台湾同様「Wait a minute」と言うよりも通じるようだった。
そして、着いた漁港。しかし、ヒトの気配が全くない。
近くにあったショップの人に聞いてみると、観光マップに書かれている漁港は昔のもので、今は移動したらしい。
そして、教えてもらったところは、橋の下で、パッと見では見つからないところだった。
早速、漁師に取材。M氏の通訳によると、マンボウはむかーしに見たことがあるだけという。
ここら辺は浅いしサンゴ礁があるから来ないんじゃないかとの話だった。
パラオの漁師にとってマンボウは『冷水域や北の魚』というイメージがあるらしい。
それは意外だった。日本では一般的に熱帯域や南の魚というイメージがあるのと正反対だ。
同じものでもところ変わればイメージは異なる。
興味深い話だった。
パラオの漁についても聞いてもらったが、底引き網みたいなものと、突きん棒のような漁をするらしい。突きん棒には短い銛と長い銛の二タイプがあり、漁によって使い分けているのだそうだ。
定置網がないのであれば、マンボウが漁獲される確率は激減する。
パラオではマンボウはめったに獲れない。これがわかっただけでも良しとした。
ちなみに、漁師に名刺を配り、マンボウが獲れたらメールをくれと言ったが、「いくらもらえる?」と言われた。
そう、これが海外だ。タダでは動いてくれない。
獲れてからということで何も払わなかったが、いくぶんか払っておけばもしかしたらもっと情報が集まったのかもしれないなと、筆者は後で少し後悔した。
マンボウがいないところには基本的に行く気がない筆者は、これが人生最初で最後のパラオ来島になるのかもしれない。
帰国後はひたすら文献整理と論文執筆で一年が終わった。
次へ
2012年1月19日作成 2012年7月25日更新
万研列伝 Top