東日本大震災で被災したマンボウの話

 2011年3月11日に起きたマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震とそれにともなう津波は東北沿岸に住む多くの人々に被害を与えただけでなく、生き物たちにも多大な被害を与えました。管理人は一生物学者として記録を残すため、ここではニュースで取り上げられている被災したマンボウ(以下マンボウ属総称)にまつわる話についてまとめ、ご紹介しようと思います。

【Case.1】 宮城県松島町にあるマリンピア松島水族館で飼育されていたマンボウは、大震災8日後の3月19日に衰弱死しているのが見つかった。同館は30年以上、ほぼ途切れずにマンボウを展示してきて、最高2017日という長期飼育の記録も持っている。マンボウは松島町の準名誉町民に選ばれるほど人気があった。

 同館は大震災によって床が崩れるなどで、防水扉などの設備があったものの津波で1階が浸水し、機械室と電気室が水没。水質浄化や水温調節を行う機械が故障し、停電で水温調節ができなかったなどの理由によるとみられる。通常、18〜20℃の範囲の水温で維持していた飼育水温が、12℃まで低下していた(私の研究結果でもこの水温は適水温よりかなり低い)。同館はプロパンガスのコンロで海水をわかして水温を保とうとしたが、ダメだった。

 マンボウの供給源である同県内の定置網も津波にやられ、新しくとれる見込みはない。4月23日に営業を再開したが、マンボウはいないままだった。

 しかし、茨城県大洗町のアクアワールド大洗水族館から4月28日に体長50p程度のマンボウが届けられた。同館は5年ほど前にマンボウが不漁であった時、松島水族館の協力を得て宮城の定置網から3匹マンボウをもらったことがあった。

 しかし、今回提供した大洗水族館も地元の定置網が被災し、マンボウ供給のめどが立たない。また原発事故の風評で入場者数も減っている……

 厳しい状況下であるが、ここで結ばれた両館の絆は大きいものと思う。これからもがんばって、入場者の方々の癒しや知的好奇心を満たしてほしい。また、ニュースに取り上げられていないだけで、他の水族館でも震災の影響でマンボウが亡くなったケースがあったかもしれない。普段、解剖している者から言えたものではないが、人々を楽しませてくれたエンターテイナーに心からご冥福をお祈りする。

<ソース>
4月14日 毎日新聞 「東日本大震災:子供たちにまた笑顔を 宮城・松島の水族館、再開準備急ぐ」
4月20日 スポニチ 「生き残った魚たちを死守…被災地の水族館が再開」
4月22日 産経ニュース 「「生き物の命つなぎ留めた」 松島水族館が23日再開  」
4月24日 毎日新聞 「ほっとするニュース:「マリンピアは不滅です」 松島水族館が再開」
4月28日 産経ニュース  「松島編(2)マリンピア松島水族館「社長が帰ってきた」 」
4月29日 産経ニュース 「大洗水族館がマリンピアにマンボウ寄贈 宮城」
4月29日 河北新報  「マンボウにまた会える 茨城から松島水族館に届く」
5月2日 茨城新聞 「大洗水族館、松島にマンボウやサメ提供 5年前の恩返し」
5月9日 朝日新聞 「マンボウの恩、返す番 被災地の松島水族館へプレゼント」
5月10日 東京新聞 「大洗水族館が贈る 宮城へマンボウの恩返し」


【Case.2】都内にあるサンシャイン国際水族館は2011年8月4日に改装を終え、リニューアルオープンする。これまでは定期的に宮城県で展示用のマンボウを捕獲していたが、震災の影響でそれができなくなった。

 マンボウは人気があったので、入手しようと全国各地に問い合わせ、毎年冬から夏にかけて期間限定でマンボウをプールで飼育している大分県マリンカルチャーから2尾、無償譲渡してもらえることになった。宮城県からの輸送は8時間。大分県唐の輸送は約24時間になるという。

<ソース>
6月7日 西日本新聞   「マンボウがお引越し 」
6月7日 大分合同新聞   「「蒲江を忘れないで」 マンボウ上京」




 2011年5月14日作成 2011年6月21日更新


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