万研列伝 2008

(※フィクションとしてお読み下さい\(^O^)/)


――高知編(2008年2月18日〜2008年2月20日 / 2008年3月11日〜2008年3月14日)――

 統計的に精度を求めるのなら、各地点で100個体は必要と言う話を聞いた。
 二代目は日本全国、幅広くサンプリングを行ったが、各地点間でのサンプル数は10個体に満たない。
 要約すれば、岩手以外でのサンプル数が少ないのだ。
 就職活動を始めた最中、他の地点でのサンプルもほしいと考え、ちょうど水族館に知り合いができたこともあり、高知にサンプリングに行ける機会があった。

 この地域では冬季にマンボウ類が来遊してくる。
 電車を乗り継いで行ってみると、場所はかなり遠かった。
 しかし、保存してもらっていた冷凍サンプルがあり、それを10個体以上調査することができた。
 凍える中で定置網に乗ると、ハリセンボンが無数に漁獲された。
 マンボウの口の中に入るくらい多かった。
 この地域では岩手同様にマンボウを食べる。
 地元のスーパーでマンボウの料理が売っていた。
 岩手では生の状態でしか見たことがなかったので、既に調理されたマンボウ料理は初めてだった。
 しかし、これが意外においしい!!
   この時期、就職活動はほぼ全敗して少し焦っていた。


――岩手編(2008年6月16日〜2008年9月21日)――

 就職活動も一段落し、無事内定を一つ取ることができた。
 これにより、研究は去年と比べて精神的にはかなり安定していた。
 二年目のサンプリングが始まった。
 去年の後半からの繋がりで、今年も『攻め型』サンプリング。
 もう精神的な疲労はなかった。
 ルーチンワークは深いことを考えずに淡々と仕事をこなせばいいので、性に合っていた。
 人によって計測に癖があり、誤差が生じる可能性があるので、計測は自分で行わなければならない。
 二代目がそう言っていたこともあり、自分のデータと二代目のデータを合わせて使うことはできるのかと、結構悩んだことがあったが、データを比較した結果、誤差はほぼなかったことも、心のゆとりになった。
 毎日毎日、定置網に乗り続け、多くのセンター滞在者に手伝ってもらいながら、獲れた個体は全部計測し、データを蓄積する。
 半漁師化した生活。
 しかし、マンボウ研究のノウハウがわかり、日々が楽しかった。

 そんな矢先、岩手での大きな地震が起きた。
 岩手に行く前に既に一度、大きな地震が起きていた。それにより、平泉が大きなダメージを受けていた。
 まさか滞在中に遭遇することになろうとは、インパクトは阪神・淡路大震災より大きかった。
 雨の降っている深夜、雨の定置網は嫌だなと思っていた状況が一気に緊迫した。
 幸いにも地震だけで津波の心配はない。
 しかし、センター滞在者はみんな食堂に集まってテレビを見ていた。
 外人の滞在者は人生で初めて経験する大きな地震に泣いていた。

 アニメ・漫画大国日本。
 温泉大国日本。
 しかし、地震大国日本でもある。
 この国は小さいにも関わらず、世界に大きな影響を与えている。
 もしかしたら今後、マンボウ研究もそうなるかもしれない。
 なぜならこの国は、マンボウ大国日本でもあるのだ!!

 大きな地震の前後には宏観異常現象として、リュウグウノツカイなど珍しい生物が漁獲されることが多いらしい。
 雨も収まってきたことから、早速、漁港に自転車で走ってみた。
 すると、漁師はいつもと変わらず漁に出かけるというので、乗せてもらうことにした。
 しかし、結果的に、珍しい漁獲物はその後も見ることはできなかった。
 この大きな地震で津波は来なかった。だから、三年後に東日本大震災でこの町が壊滅するほどの大津波が来ることは誰も予期しなかったことだろう。

 岩手の定置網は内湾の入り口付近に設置されていることが多い。しかし、時たま内湾に設置してある場所でも漁獲されることから、沖合に生息すると言われるこの魚も意外に沿岸に来遊してくるようだった。
 これは台湾やヨーロッパでのサンプリングでより確信的なものとなる。
 初代や二代目はマンボウ研究者として、マンボウ運があったのだろう。
 しかし、筆者にはマンボウ運はあまりないらしい。
 修士課程で得られたサンプルのうち、2m超えで計測できたものは、たった1個体だけだった……
 



 修士論文をまとめるにあたり、サンプリングは9月末に終了した。
 そして、研究室に帰り、年齢査定と論文読み、DNA解析を試みる。
 しかし、どれもうまくいかなかった。
 特に、DNA解析費は高価な上、他研究室を借りて行っており、時間も食うので、焦るばかりだった。
 年齢査定は非常に難しく、筆者には向かない研究と判断してやめた。
 調子に乗って集めていたものの、未読論文は70個近く残っていて、これを消化しながら修士論文を書くのは不可能と判断した。

 そんな矢先、内定式があった。
 そして社長は言う、「この会社に本当に入りたいのか、もう一度よく考えてほしい」と。
 その言葉を聞いて、その会社でいいのか悩んでいた筆者はこの会社に呼ばれていないと強く感じた。

 これらの事情が重なったことで、もう一度、過去を思い返した。
 とりあえず修士論文を書けば、卒業はできる。しかし、修士論文の内容は中途半端になるだろう。
 マンボウの研究ができたことは満足している。
 しかし、修士論文を中途半端には書きたくない……
 悩んだ末に、内定を辞退して、卒業を半年延期することを考えた。

 内定辞退の電話は、研究室のメンバーが海に行くというので、そこで行った。
 企業側は慣れているのだろう、もう少し研究したい旨を伝えると、必要以上に引き止めたりはしなかった。

 DNA解析がうまくいかない旨をXに伝えると、XがDNA解析を手伝ってくれる話になった。
 そして、結局、全部DNA解析してもらう形になった。
 全個体、問題なくDNA解析の結果で種判別ができた。
 苦労したサンプリングはすべて無駄にならなかった。
 ここで筆者は決意する。
 DNA解析を担当してもらった代わりに、必ず、世に残す論文を出すと。

 先生にも半年延ばす旨を伝え、これを機に、今までまっすぐだった人生の道から外れてゆくことになった……

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 2012年1月19日作成 2012年7月25日更新


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