サンプリング列伝 2009

(※フィクションとしてお読み下さい\(^O^)/)


 歴史は繰り返す。
 人生の大きな選択肢の前で、幼少期の強い思いは幾度となくよみがえった。
 あの頃、描いた夢を忘れない。
 そのために自分が選ばなければならない道は――

 幾度となく目の前に現れた人生の選択肢。
 就職先が満足いかなかったこともあるが、ここまでマンボウ研究をやってきたなら、もっと徹底的に満足できるまでやっておきたいという思いがあった。
 そのためには、70個ほどある海外の未読文献を読み解く必要性があった。
 英語は得意ではない。読むには時間がかかる。
 加えて、遺伝解析も他の研究室が所有する実験室で試みてみたのだが、何故か全くうまくいかなかった。
 このことをXに相談すると、見かねて遺伝解析をしてくれることになった。
 筆者はその代わり、研究成果をできる限り論文として出すことと、出す論文にはすべて共著で行うことを誓った。
 これを機に、遺伝解析はX、その他の調査は筆者がやるという役割分担が生まれた。

 研究室に帰り、同期が卒業するまでは、ひたすら論文読みに励んだ。
 そして、論文を書き始める段階になって、もう少し調査したいところが出てきた。
 そして、4月に北九州の博物館、茨城の水族館、博物館で調査を行い、その後二ヶ月みっちり論文執筆に勤しんだ。
 そして八月に修士論文発表し、九月に修士論文を出して卒業。修士論文は通常の人が書く3倍、120ページを超える大作となった。
 審査の先生から何も修正が入らずに返ってきたのは思わず笑ってしまった。
 しかし、ほとんどのデータを出し尽くしたので、満足の出来上がりだった。

 さて、卒業したはいいものの、その後行く先も無し。
 DNA解析をすべてばっちり行ってくれたXのためにも、投稿論文を書かなければならない。
 就職活動は後に回しても、修士論文のデータはすべて論文化に回そうと思い、半年間、M3の研究生として研究室に残る決意を固めた。

   半年間、論文化作業をやっていく中で、再び選択肢が現れた。
 これまで研究してきたのはマンボウ属のみだった。
 マンボウ科魚類にはヤリマンボウ属とクサビフグ属が存在する。
 三年間も研究してきて、その二属には触れることさえなかった。
 このまま研究を終えてもいいのだろうか……?

   自らに問いかけた答えはノーだった。

 もうすでに一般社会の道筋から外れている。
 ならば、このままマンボウ研究をとことんやれるところまでやってみてもいいのではないか?
 そう思うようになった。
 そこで出てきた選択肢が博士課程に進学することだった。
 研究室の博士課程の先輩から散々、覚悟がないとこちらには来ていけないと言われ、実際全く行く気もなかった。
 しかし、今は博士に進むしか道はないと思っている。

 人の考えは日々、変化するものだ。
 完全に気が変わってしまった。
 親と先生に相談し、幸運にも博士課程に進学することを許されることとなった。
 ここでついに、マンボウ好きな少年は、狂気的なマンボウ研究者に変貌することとなったのだ……


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 2012年1月19日作成 2012年7月25日更新


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