万研列伝 2012

(※フィクションとしてお読み下さい\(^O^)/)


 研究六年目。小学生制度なら、卒業生になるこの年。
 ひたすら文献を集め、読み解き、わかったことは……
『この魚の生態は何一つわかっていない』ということだった。
 わかっていないことがわかった。
 これはある意味、衝撃を受けたことだった。

――京都編(2012年1月9日〜2012年1月13日)――

 また一つ年を重ね、研究歴が厚くなった。
 生き物は一般的に夏に最も活発的に活動する。
 しかし、マンボウは違う。
 この魚は季節ごとに場所を変え、一年中日本のどこにでも出現するのだ。
 冬の船上調査は精神的にも肉体的にもつらい。
 2008年以来、冬は論文を読む時期、情報をまとめる時期にしていた。

 日本海側にマンボウが出現する時期は冬季が最も多い。
 その情報は知っていたが、今まで足が動かなかった。
 しかし、今回、体に鞭を打って、調査に出かけることにした。
 冬の日本海側は雪が積もる。
 そんな寒い中で、野外で計測をするのは嫌だと思いつつも、今回は興味の方が勝っていた。

 今回調査に訪れたのは日本海側の京都。大阪から高速バスに乗って向かった。案の定、移動中に雪が積もっているのを見た。
 京都サンプリングのチャンスは三日間。
 実験所の研究者にお願いして、毎朝漁港に足を運んだが……マンボウはおろか、漁師にさえも会うことはなくサンプリングは終了した。
 しかし、京都に赴いたのにはもう一つ理由があった。

 数年前にクサビフグが漁獲され、その標本が実験所に保管されている。
 その個体を計測したかったのだ。
 サンプリングではマンボウは獲れなかったが、嬉しい誤算があった。
 この実験所の魚類コレクションに、そのクサビフグ以外にも、マンボウ類の稚魚〜若魚にかけての小型標本が無数に保管されていたのだ。
 心が躍った。
 文献上では知っていたものの、実際に目にするのは初めてのサイズばかり。
 ちょうどホルマリン保存からアルコール保存に置換したいという研究者の要望もあり、実験所滞在中、夢中になって、写真撮影・観察を行った。
 標本は思っていた以上にたくさんあり、むしろ、滞在時間の方が短かった。
 すべてのサンプルをアルコールに置換できたものの、すべての個体をじっくり観察するには時間が少なかった。
 次回は時間に余裕を持って再び、この実験所に足を運びたい。



――フィリピン・タイ編(2012年2月16日〜2012年3月4日)――

 研究とは『生涯かけて後悔し続ける事』を意味するのかもしれない。  その時は疲れていて取らなかったデータも、後からしてみれば何故あの時もう少しがんばらなかったのかと後悔することは少なくない。これはおそらく恋愛についても同じかもしれない。

 研究とはまた人生である。積み重ねた心労と失われた体力の果てに、ようやく自分の満足する成果かが得られるかもしれない。
 そう、『かもしれない』だ。
 研究は、研究者のセンス、その時の時世、運に左右される事が多い。
 特に、生物を相手にしている研究分野では、運の良し悪しが研究の進展の大きな鍵を握る。
 運を味方に付けるかどうかが重要なポイントだ。
 これは漁おいても言える事である。漁獲対象が網に入らなければ仕事が成り立たない。

   フラグは去年の10月。韓国との合同シンポジウムの時に立った。
 縁あって、フィリピン・タイへのサンプリングを行う企画が立った。
 どこで知り合った人が後の人生に影響を与えるのかは全くわからない。
 事実は小説よりも奇なり。
 この言葉の本当の意味をこの旅で知ることになった……

―フィリピン―

 季節は2月。日本は真冬。雪が舞っている季節。
 しかし、今回は真冬から常夏の地域へ旅立つ。
 台湾は沖縄よりも南で暑いと聞いていたものの、昨年の12月に行くと肌寒いことが何回かあった。
 なので、今回も本当に暑いのか半信半疑だったが、その疑いは飛行機がマニラに到着してすぐに消えた。
 熱い――気温約30℃もあった。

 今回、サンプルを得られる保証は全くない。
 とりあえず、情報を集めに行く感じとなった。
 生活費を15万も削ってサンプルを得られないのは結構ダメージが大きいが、フィリピンには行ったことが無いので、実際、サンプリングできる環境かどうかの目星を付けるのもいいだろうと考えた。
 縁あって、今回は海外のLLと行動を共にする。
 LLは英語の教師兼海藻の研究者だ。

 フィリピンの環境はまたこれまでのサンプリング環境と全く違っていた。
 この国は貧富の差が分かれている。路上で子供が眠っているのを見たのは何とも言えない気分になった。
 物乞いや売りつけもこれまで見てきた中で最も活発的だ。
 必死な感じがした。働かないと金が稼げず、生きていけないのだ。
 おそらくこれでもまだマシな方、発展途上国はもっと激烈な生活環境なのだろう……

 生物の研究は安全なところでしかできない。
 それは生活環境にある程度余裕があることを意味する。
 フィリピンは研究が行えるギリギリのゾーンなのかもしれない。
 話を聞くに、多くの生物が研究されていないという。

 結論から言うと、サンプルは得られなかった。
 定置網もあることはあるらしいが、日本のものとは違うみたいな感じがした。
 そもそも、今回は漁師に直接会うことはできなかった。
 フィリピンでは英語が通じるので、今後は活用できたらいいと思う。
 しかし、マンボウ属とヤリマンボウ属はフィリピン周辺海域にも出現することはわかった。
 イロイロ島にある2つの博物館にそれぞれ中型から大型の剥製標本が保管されていたのだ。
 剥製でも無いよりはまし。しかし、得られる情報は生鮮サンプルに比べて遥かに少ない。
 剥製標本は色が塗られて装飾され、縮んだり引き伸ばされていることがある。
 剥製からわかることは、おおよその形、鰭の数、骨板の数といったところだ。
 色が塗られていなければ、表皮の形状を観察することができるかもしれない。

 魚市場は日本よりも忙しそうな印象を受けた。頭の上に荷物を乗せて運んでいる人も少なくない。
 この国では女性もパワフルだ。普通に漁獲物を運んでいたりする。
 市場の人に聞いてもほとんどの人が知らなかった。
 しかし、漁獲しても食べないから海に戻すと答えた人もいた。市場にも何回か運ばれたことはあるようだ。
 いることはいるのだ。直接漁師に会う必要がある。
 1つだけ明らかになったことは、地方名はブワンブワンと言い、月を意味することのようだ。
―タイ―

 フィリピンから三日間だけタイに行くことになった。
 タイではこれまでのチームと全く別行動。
 そこで出会ったのが、いや、再会したのが、日本の魚類学会で二、三度会ったことがある人物だった。
 名前もすっかり忘れていた。しかし、見た覚えはある。
 まさか、海外で再会することになろうとは、人生どこで出会った人物がどう影響してくるかわからない。
 本当に人生ゲームだと思った。

 Pの紹介で、近隣にある博物館に足を運んだ。すると、この国にも剥製標本はあったが、DNAサンプルは得ることができなかった。
 剥製はヤリマンボウ属とマンボウ属。
 しかし、マンボウ属の1つがどうもウシマンボウの中型のような気配がした。
 舵鰭の数と骨板の数がこれまで調べてきた中で多いのだ。
 これはちょっと面白い。もしウシマンボウなら、新たな分布が広がることになる。

 タイもフィリピン同様に暑い国だった。筆者が滞在したところは、幸いにも洪水の被害がないエリア。
 フィリピンで2回。タイで1回。招待講演を行った。
 しかし、サンプルはゼロに等しい。
 今後、サンプルが獲れることに期待したい。

――台湾編(2012年5月9日〜2012年6月11日)――

 前回の台湾調査で、また4月か5月にサンプリングに来るように勧められていた。
 どうも春の時期は大型のヤリマンボウが漁獲されるらしい。
 ヤリマンボウの分類を把握するためにもサイズバリエーションは必要だ。
 大型個体は喉から手が出るほど欲しい……

 フィリピンサンプリングから3、4月は研究室にとって大きな変動の時期だった。
 今まで教授を務められていた先生が退官し、准教授だった先生が教授に昇格した。
 しかし、そんな中、二年連続で助成金を得ることができ、台湾サンプリングの道が開けた。
 また、何かに導かれているような気がしてならなかった。
 今までは大学生協など様々な助力を得て、海外旅行に行っていたのだが、今回は、航空券の手配から全部自分自身で行ってみた。
 海外旅行を一人でも行けるように。

 台湾へのサンプリングは今回で3回目である。
 桜が散った頃に台湾にやって来ると、もう夏だった。
 今回は前回のサンプリングの反省を生かし、より、漁場に近い場所で生活することになった。
 前回のサンプリングで知り合った漁師からのありがたい提案で、漁場の建物を一ヶ月借りて生活できるようになったのだ。
 しかし、話を聞いていると、その漁場の定置網は強い潮流にやられて壊れてしまい、修復に1週間ほどかかってしまうという。
 そこで、前回、一番計測や解剖をさせてくれた漁場に再びお世話になることになった。
 毎朝6:30に泊まっている漁場からサンプリングの漁場まで自転車で片道30分ほど漕いで通う日々が幕を開けた。

 先生から自転車を借りたことで、前回と同様に動き回れるようになった。新たに道を開拓して、周辺の地理を把握。必要な道具を揃えた。
 この時期のヤリマンボウは重い。漁場では100-120元/kgで換算され、とりあえず丸ごとヤリマンボウを買い取り、形態調査後、筋肉や表皮、消化管などいらないパーツを売り、その差額を研究費から出す方向で決まった。
 前回、思っていたよりも漁獲できる個体数が少なかったことから、今回は1日1マンボウを調査するという方向にした。体力的な面を考えても、これがベストなのだ。

 前回は全く晴れなかった、しかし、今回は数日晴れた日があった。
 晴れると、山と海に囲まれたこの環境はとても美しい。
 しかし、一年の半分以上が雨というこの地域、基本的に一日に一回は雨が降るので、カッパは欠かせない。

 半ば、漁師の勘違いでサンプルをもらえないことがあったが、10個体程度、前回より大きなサイズの個体を計測することができた。
 これは生態面でも分類学上でも大きな前進である。
 さらに、今回は成熟した雄個体を確認できたのが大きい。
 イメージとして、初夏はサイズ幅を稼ぎ、冬は個体数を稼ぐ、この方向で研究を進めていくのがいいだろうと感じている。
 今回は蚊に襲われ、薬局にお世話になったが、前回の待機型と違い、攻め型で心身ともに健康的に過ごすことができてよかった。
 しかし、まだせいぜい10個体だ。
 統計的に十分と言われる母集団の数は100個体。雌雄で分けたとして、それぞれ50個体ずつはほしいところ。
 時間とお金が許す限り、数年に渡っても通いつめたい……

――茨城・東京・愛知編(2012年7月18日〜2012年7月29日)――

 マンボウ類の種の記載に関する文献の収集のため、東京から移転した科博に行くことにした。
 マンボウ類の種の記載に関する文献は100個以上あり、様々な言語で記載されている。
 幸運にも科博には重要な文献がいくつもあるので、直接自分で資料を集めるために、足を運んだのだ。
 三日日間連続ネットカフェ泊まりときて、資料収集を行った。
 しかし、さすが日本中から標本が集まる博物館。
 思わぬ収入もあり、わざわざ足を運んだ甲斐は大いにあった。


 科博での資料収集を行った翌日、五年ぶりに二代目と会う機会があった。
 旅立つ前、ダメ元で連絡を試みた結果、繋がったのだ。
 二代目はすでに結婚しており、てっきり縁を切ったものかと思っていたら、二代目には二代目の諸事情があったらしい。
 三代目としての報告と、二代目当時の話を聞き、もらっていなかったデータをもらった。
 二代目は30人ほどの海外研究者と連絡を取り合っていたらしい。
 これはすごいことだ。
 二代目からもらったデータの中には、今まで知らなかった、興味深いものがいくつもあった。
 かくして、再び、縁は繋がった。
 人生、何が起きるのかはわからない。
 積極に働きかけることは重要だなと、改めて認識した。

 東京から広島に戻る流れで、名古屋の水族館に行く機会を設けた。
 何故なら、マンボウについての本の一節を書かれている方がいたからだ。
 実際にその方と会って話をしてみると、ヤリマンボウ幼魚が群れで網で掬われたことがあるのだという。
 サンプルの写真も見せてもらった。
 これはかなり面白い。日本本土と小笠原を繋ぐ島々はどうやらマンボウ類の成長ルートに入っているようだった。

――高知編(2012年8月27日〜2012年8月29日)――

 高知県ではヤリマンボウが夏場に漁獲される。
 この話は以前から聞いたことがあった。
 しかし、実際はどうなのかはわからなかったので、夏季にサンプリングをしに行くことは今までなかった。
 ところが今年、様々な縁が結び付き、サンプリングが可能となったのだ。
 一つは高知大に小型の珍しい標本があること。
 一つは水族館の方が高知でサンプリングすること。
 一つは、高知大にマンボウ研究の後輩ができたこと。

 これらの縁があり、2泊3日の濃厚なサンプリングを大成功に終わらせることができた。
 一日目は高知大に行き、小型の珍しいサンプルを観察し、計測を行い、他にもサンプルがないか標本室を見て回ったが、他には有力なサンプルはなかった。
 駅前のネットカフェに宿泊し、翌日は主に文献調査を行った。
 その後、研究室の方の住む大家の方に一時仮眠を取らせて頂き、深夜一時から朝倉→佐喜浜までの旅が始まった。
 後輩に運転を頼み、ぶーんと室戸を超える。
 そして、台風の影響の残る中、定置網に乗った。
 その定置網で、運よく、ターゲットのヤリマンボウを得ることができた。
 船上ですぐに投げられたため、細かな計測はできなかったが、それは仕方ない。
 しかし、実際に夏場にヤリマンボウが獲れるところを確認することができた。
 長年研究をしていて、ヤリマンボウが獲れるところを見たのは初めてだった。
 高知では、ヤリマンボウはミズマンボウやギンマンボウと呼ぶらしい。
 ヤリマンボウは夏場に多いが、冬場でも少しは漁獲されるようだ。
 また新たなサンプリング地が開拓できた。これは嬉しい。

――台湾編2(2012年12月10日〜2013年1月31日)――

 本年二回目の台湾。
 新しい先生が着任し、二回目の尿路結石の手術を終えたすぐ後だった。
 今回は初めて海外で正月を迎えることになった。
 今まではヤリマンボウのみがターゲットとなっていたが、この時期はマンボウ属も漁獲される。
 最近、肥満気味だったこともあり、サンプリング地へはひたすら自転車で走りまくった。
 今年はヤリマンボウの来遊が一ヵ月ほど遅れているらしく、あまりサンプルは獲れなかった。
 しかし、マンボウ属がたくさん獲れることがわかり、これは大きな成果である。
 中でも、ウシマンボウをたくさん見ることができたのは大きい。
 これまで六年間研究してきて、ウシマンボウをフィールドで見たのは2個体程度だった。
 しかし、今回は10個体近くサンプルを得ることができた。
 DNA解析が楽しみである。


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 2012年1月19日作成 2012年7月25日更新


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